失われた3年間

今も思い出すのは3年前のまだ日本中がコロナの存在を認識して居なかった1月の頃私もはっきりと覚えていないのですが確か屋形船から感染者が出たニュ-スがありましたがそんなに厳しく受け止めている人は少なかったと思います。対岸の火事ぐらいにしか思っていなかったと思います。まだその頃は、あまり気にしていなかったと思います。それと同時ぐらいに中国の武漢のマ-ケットからコロナという感染病が発生したことや最初に感染した人が亡くなったことや感染力が強くかかると死ぬという大変な感染病という恐ろしさがあって、3月から4月ごろにかけて大型客船の乗客から次から次へと感染が広まり怖さがどんどん広がり始めました。一番恐怖を感じたのは志村けん岡江久美子の急死で日本中大騒ぎになったほどインパクトがありました。かかったら=死と言うことで死者の数がすごく気になるようになっていきました。こんなこともありましたね。感染した人がクラブにいきまき散らしたというニュ-スもひどい話でした。私はその頃友人とお花見をする約束をしていて大宮の大きな公園で桜の木がたくさんあって桜も咲き誇っていましたが。コロナのおかげでほとんど自由に散策ができませんでした。小動物のいるところもあったり(小さなお子さんが楽しめるような)、小さなお子さんが喜びそうな遊具もありましたがそこも立ち入り禁止、指定の場所で休み、指定の場所を歩きあまり桜見物は楽しめませんでした。中国のドクターも感染して亡くなる直前の彼のコメントで大変な病気だという訴えがテレビで見たけれどその訴えは中国によってすぐ消されてしまったことが思い出されます。そのドクタ-もっと知ってることがあって、伝えたかったことがあったんではなかったかと思いますね、すごい証人を中国は葬ってしまったのです。中国は一貫して売っていた小動物から店の人が感染したとか或いは自分の国ではないとかとも言っていました。中国で発生し世界中に広めてしまったのは中国人なのですよ、それを忘れないで欲しいですね。この3年間、友達とも会わず、旅行もできずもうこの3年間は取り戻せませんですから、中国よ、コロナよ、3年間を返してください!

今、私が恐れていることは?

コロナで亡くなった人累積で6万人とニュ-スで発表されていましたが結構亡くなっているんですね、ビックリしました。ここのところコロナの感染者増えていますからまた中国人の旅行者の来日でコロナの感染者がどれほど増えるか ところで中国人は富士山が大好きなんですよね、そう聞いていますが私も富士山は大好きです。私が育ったところは多摩川下流ですが多摩川のすぐそばだったのでかなり大き目の富士山が見えていたんです。富士山が見えるのは当たり前と思っていました。ずうっとみられるものと高く食っていました。ある時、私の家の裏地で工事が始まりました。××信用金庫の建物の工事だと聞かされました。そうこう言ってる間に建物の工事は大変うるさいものでした基礎工事に日数をかけていたのでビルでも建つのかと心配していると出来上がった建物は鉄筋コンクリートで3階建てでした。よりによってそんなものを立ててと子供ながらに腹を立てていました。子供だって怒りますよ、毎日富士山が見えていたのにそのビルのおかげでその楽しみを勝手にとられてしまったのです。それからずうっと見れなくなったのです。街中なので住宅街ではないので、建物の高さ隣からなんメ-トル話して建てるとか商業地ではかなり決まりがかなり緩いんだと思います。立てる前からの反対運動もなかったわけだから、韓国のように国民のすべての人がだめなことにはだめとしてデモで自分達の意思を伝えられるということが出来るのは凄いと思います。日本人の性質は島国根性ってよく聞きますがよく言えばおとなしい、裏では悪口を言うが表立っては言えない、腹黒さなどが私の脳裏に浮かびましたが皆さんはどう思いますか?日本人を!さらに心配してることは厄介な世界になってるような感じがしますね。平気で土足で人の家に入り込むことが出来るのはいけない行為ですよね。それがわかっているのにそれを戒めることが出来ない世界になってるんですよ、ウクライナに対して勝手に入り込むロシアの行為は正当化できるのでしょうか、力ずくでウクライナをわがものにしようとしているロシアに媚びを売っている国があるんですからあきれてしまいます。弱い国はそうやってこれ見よがしに強い国にすりすりしていくんですね、自分が(国が)生きていくために?そんなのおかしいですよ、そうなるといいこと、悪いことの境がもうわからなくなってるのかな?近い将来、ロシアが入り込んでくるということも無きにしも非ずそんなことにならないよう願うばかりですが今日は話がだいぶそれてしまいましたが今、私が恐れていることなんです

兄弟って何なんだろう?

私の姉とは一緒に暮らしていてもあんまり話したことがありませんでした。4歳年上なので兄弟という感覚が乏しかったなのかもしれないけどあまり姉の存在をほとんど気にしたことがなかったのですが一緒に生活しているのに不思議でした。今でもどんな思い出があるか思い出そうとしてもほとんど姉の思い出がありません。ただ自分はどうかというと兄弟をあてにせずに母の兄弟=叔母の家が楽しくて学校が休みになると必ずその家に行ってしまいます。土曜日にいけば必ず泊まって日曜日に家に帰っていました。なので姉とあまり接点がないのは自分にも問題があるのです。私自身も自分の兄弟と遊んだりした記憶に乏しいです。意外と兄弟愛っていうのは全兄弟にあてはめられることではないんだなって今更ながら思います。兄弟というのは一緒に暮らしているから兄弟なんだというようなことを聞いたことがあります。友達の話で彼女は兄弟が多くて一番上のお兄さんとは10歳年上で全然兄弟とは思えないと言っていました。もう一人お父さんがいるような感じだったといっていました。それで気が合う兄弟と嫌いな兄弟もいるとも言っていました。私自身は子供は二人しか生みませんでしたが女の子と男の子なんですがあまり仲が良くないように見えます。そのように兄弟の仲が悪かったりよかったりはやはり親の育て方によるのでしょうか、私もよくわかりませんが皆さんはどう思いますか、私がなぜこのような話をするのかというと兄はだいぶ前に亡くなっていますが残された3人姉妹は仲良く付き合っているかというと2対1で全く付き合いがありません、赤の他人よりもひどいものです。原因は母を順番で見ることに対して私が姉に言ったことに姉が激怒してそれ以来、交信がありません。妹とは年中、喧嘩をしていたので妹は当然、姉側につきやはり交信がありません。こんなことは珍しいことではないようですが何年たっても元に戻らないってことが不思議です。一体、兄弟って何なんでしょうか

コロナはいつまで続くのでしょうか?

私は通勤に自転車を使っています。所要時間は往復1時間です。なぜ電車を使わないのかは電車だと片道1時間はかかります。バスもありますが1時間に2本位ありますがすごく遅れることがあって信用できるもんではありません。午後4時に仕事が終わりますがバスを利用すると帰宅は6時近くになってしまいます。電車もバスもそれぞれ頼れないので、や無負えず自転車通勤となってしまいました。今日自転車で帰ってくるとき4台の救急車にあいました。これは結構な数で、そういえば夜中も救急車のサイレンの音が聞こえてるので今、コロナの急患かなと思います。前にも救急車となんだいと遭遇したかその頃のコロナの感染の人数と救急車の数が比例してるようです。救急車と遭遇しないときや夜中の救急車のサイレンが聞こえないときはコロナの感染者の数が少なかったです。今はコロナの感染者が凄く多いと思いますね。実感としてあります。それは身近な人たちがコロナに感染してるからです。救急車の台数もです。私は老人の施設で働いていますので県で感染者が多い時は注意をしないと感染は待ってくれませんから、私の施設ではPCR検査を毎週していたのですがそれでは間に合わなくなって出勤前に自分達で各々、キッドで検査して出勤することになったのです。このように会社が方針を変えたのはある職員が熱があるのに出勤したが為、結局、コロナと言うことでお客さんや職員に感染し、完全に感染が止まるまで凄く時間もかかるし手間もかかるし、経営として大損なわけですからそういう羽目になってしまいました。保育園なども職員がライブに行ってそのおかげで園児に感染したというニュ-スをテレビで見たことがあるし老人施設でも職員がコロナを持ってきた事例を私はよく知っています。例えば勤務中にマスクをしていない人や知り合いの仲間たちとお酒を飲んだり食事をしたり、一番多いのは、親戚の人が来た時ですね、無用心してしまうのでしょうか?気が緩むのでしょうか?私も友達と会うときはありますがマスクは手放しません。私は一度もかかってないのですが帰宅したら手を必ず石鹸で洗います。うがいもしてます。それだけで感染はしてませんがコロナはまだまだ収まっていませんので油断せず感染から自分を守って行かなければいけませんから先は長いです

一つの事続けること大変ですがやり抜きます

お正月も7日経ちました。私の作った料理も順調に終わりましたので、今日は新たにおかずの作り置きをしなくてはなりません、それをしないと時間やお金、光熱費の節約にならないからです前回の筑前煮の材料が残っていたり、安い値段で購入した2パックの牛乳が残りそうなので、急遽、クリ-ムシチューを作ることにする、明るい日中を利用して午後3時前から料理を始める。その間にお風呂に入り、洗濯をして、干して5時に終わり5時過ぎには夕飯の支度が出来た。仕事が休みの時は冬場でも明るいうちにこれだけのことが出来ることを実証しました。2時間ちょっとでこれらのことが出来るのだからもう少し煮詰めていけば節約に於いて効率の良い時間が取れると自分なりに思いました。日が出ているうちにお風呂に入れればスト-ブはつけなくても寒くなかったです。(私のところのお風呂は寒い)のため燃料代が浮きました。私は今までの(節約に縁遠かった)自分を振り返りもっと前から節約を実行していたらどんだけお金を残せたか、今、やっている節約は苦しいものではないですから、ぼ-っと暮らしていましたね、人間は何かきっかけがないと動けない?動けるんですね。この年で昨年から自分をかなり変えてきました。努力しました。何でマラソンや登山をやるの私はこれらは絶対に嫌いだし根本はスポ-ツが嫌いだからです。東京の大田区に住み電車に乗るにも駅まで徒歩3分で行けるしバス停も3分ほどの所にあります。なのであんまり歩かなくて済むんです。今となってはこれはいいことなのか疑問は残りますが、その時は生活がしやすかったんだとは思います。人間は楽な方にいきますから、面倒なことは嫌ですね、だからまさか自分がスポ-ツジムに通うなんて思いもしなかったことをやり始めたのですジムの休み以外は毎日通いました。お友達も結構できたのも原因かもしれませんがそしてもっと信じられないのは昨年1月から始めた早朝散歩まだ続けています、私にとってはすごいことなのです。こうして続けられることがあると自然と自分に自信がついてくるんです。不思議です。周りの人からすごいねって言われたりそう言うことがその人を成長させるんだなあって思いました。それも自分の考え一つなんですね、決定するのは自分ですから今、毎日することがまた増えてひきわり納豆を夕飯に食べることです。納豆はあまり食べなかったのですがコロナにもかかりにくいということらしいです、毎日はきついのですがいいことは受けていくつもりです、これからも~信用のできる人からの忠告は聞くようにしています。やはり良い友達がいることが良かったのかな。もう一つ年のことはあんまり考えない方がいいのかも、これは私の思うことですから

人との出会いを大切に!

今年も年賀状が少しづつ届いてるけど、やっぱりきました。今年一杯で年賀状は終わりにしますという言葉が年賀状に添えられていました。ラインでできるとも書いてありました。確かに年賀状は作って出すのは今の時代にそぐわないかもしれないけど、いつもめんどくさいと思いつつ何とか出していました。また今日のニュ-スではお年玉年賀状も今年で終了するそうです。そうなると少し意欲消沈、でもお年玉付きは途中から導入されたと思います。最初からではなかったです。調べてみると年賀状じまいという出し方もあるんですね。初めて知りました。そんなハガキが来たらげっそりしてしまいます私は!出す相手の人間関係にもよると思いますが年賀状の相手は若い時に同じ職場で働いた同僚が大半です私の場合は思い出が一杯で簡単に切れるようなお付き合いではなかったので、人との出会いは偶然にあったのではなくそう言う運命なのだそうです。偶然ではないんです。今の職場で働いてる同僚も同時間に運命によってその職場にいるのです。そう考えるとうなずけますね。もし私の夫が亡くなっていなかったら絶対今の職場にも来なかったし当然今の職員にも出会っていなっかたと思います。だから人との出会いを大切にしたいです。例えば小さい子が亡くなった時は悲しいですが輪廻転生、人間は何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを意味すると。私が何かで得た知識として、幼くして亡くなった子は修業が終わったということなのだそうですこの世は人間にとって修行の場だそうです。私は何処にも属さない無宗教主義ですが、今後も人との出会いを大切にして行きたいと思っています

来年はもっと節約ができるかな!

去年12月30日に作ったおせち料理今もまだ残っていて私の生活に貢献しています。何とか私の手を煩わせてはいないので仕事から帰ってからの時間に余裕をもたらせてくれていて、食事を作る手間としてはお雑煮は作っていますがおかずは各々のタッパーに入れてあり冷蔵庫から出せばすぐに食べられるので本当に助かっています。新年になって5日たちますがパンを買っただけです。なので買い物に費やす時間がほとんどありません、作り置きは時間、お金、(光熱費も)の節約に非常に役に立っています。これも家族がいるといないではかなり違って来ると思いますが、一人なので計画通りいくので節約的には非常にわかりやすいです。今回のおせち料理はやはり生ものは使わず最悪冷蔵庫で長持ちが出来るものだけを作りました。内容は筑前煮、筑前煮はとても栄養が豊富なので毎年、作っています、それとお弁当のおかずにとてもあっていて、これも時間がかからないです。栗きんとんも毎年作ります、自分が好きだし簡単に作れるので必ずあります。なますもさっぱりしていてやはり簡単にできるしもちもいいですからお口直しには欠かせません、こう並べるとすごいものを作ってはいませんむしろ自分の好きな食べ物を揃えただけですね。そのほかに既製品は味付け数の子、伊達巻、黒豆、田作り、ハム(ブロックのもの)蒲鉾、なると、などでお正月らしさと栄養を補助しました。今年は手作りのお餅や農家の方から新鮮な太いねぎやみかんも頂き支出が抑えられました。例年ですとこれらにお刺身やチーズ類が入りますが今年は省きました。それとお雑煮に欠かせないのが鶏肉、小松菜、玉子、三つ葉、値段が上がらないうちに買いそろえました。おせちが終わったら鍋ものを作ると考えているので白菜も揃えているけど肉類の購入は必至です。こんなわけで節約は人それぞれで違ってきますが背伸びせず身の丈でやれば楽に節約ができると思います。あ、今年は揃えられなかったものがもう一つありました。ニシンの昆布巻き大好きなのですがニシンが中国製のものが多くて手が出ませんでした、とても残念!さあ、来年はどんな節約ができますか、今年を振り返って見てもっと節約が出来る様に頑張ります!